2011.02.18
吉原御免状 隆 慶一郎 新潮文庫
惚れるとは、仕草や見た目ではなく人柄や生き様に心奪われること
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吉原御免状 (新潮文庫) 隆 慶一郎 関連商品 |
面白かったです。隆先生の小説を読むのは新聞紙面での影武者徳川家康以来でしたが、血湧き肉躍る話にすっかり夢中になってしまいました。特に吉原の成り立ちや男女の機微の描写は胸に迫るものがあります。殺陣もよかった。思えば、時代小説を読むのは久しぶりです。歴史小説と時代小説は厳密には区分されるものなんですね。初めて知りました。
話は変わりますが、この本を読んで考えたことがあります。それは「なぜ吉原御免状が読めてライトノベルが読めないのか?」という疑問です。実はこの本を読む前に何冊かライトノベルを立ち読みしたのですが、どれも語り口が特異で琴線に響くどころか興味すら湧きませんでした。
ライトノベルは衰退しました?
ちょっと泣けました。いや、本の内容如何より自分が年をとったという事実にです。思うにライトノベルとは、特定の年齢層の読者を対象にしたジャンルなのでしょう。三十の坂を下り四十の坂を目前にした自分の心に響かないのも仕方がないのかもしれません。
しかしそれでも、考えずにはいられません。なぜ、吉原御免状が楽しめて数多のライトノベルは楽しめないのか?と。隆慶一郎ファンの人に言わせれば、比べることすら度しがたい行為かもしれません。吉原御免状とライトノベルではジャンルが違いすぎることも事実です。
しかし根っこの部分では同じなはず。そこで、自分なりに一つの仮定を立ててみました。キーワードは「自分語り」です。
最近のライトノベルを立ち読みしていて気づいたこと。それは一人称の多さ、そして自分語りの多さです。ライトノベルの主人公は大半が自己顕示欲が強く自分が他者に理解されることを望みます。現実に置き換えるなら、自分の自慢話をベラベラと会う人会う人に語る人、でしょうか。個人的に、そういう人の側にいたいと思いません。
あと、描写が神経質なまでに細かいのも気になります。なんというか小説をそのまま漫画に起こしたら、十人が十人とも同じレイアウトになるんじゃないかと思えるほど。おそらく描写が神経質なまでに細かいのは、漫画の大ゴマ化の影響と推測されます。この二つは読者層が重なっていますからね。
主人公イコール読者? いいえ、幻想です
文は人なり。昔から例えられる通り、小説の文章は作者の思考の反映でありますが同時に読者の思考の鏡でもあります。ライトノベルの主人公イコール読者の願望な訳です。これは作品の出来不出来の話ではありません。誰のために書かれたのかという、目標・目的の話になります。このように、常日頃から自分を理解してほしいと願う読者のために書かれた本が、冗談でも理解なんて口にしてほしくないと考えている人間にとって面白い訳がありません。
年をとるって、残酷なことなんですね。分別を知るって、何かを失うことなんですね。このまま日本の人口分布が推移すると、ライトノベルは衰退しました、という事態になるのかも知れません。十年後、二十年後が楽しみです。

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